矢原 徹一(九州大学大学院理学研究院)
基礎科学はまず何よりも面白くなければならない.分類学を学ぶ面白さは多種多様な生物を知る面白さであり,そして分類学を研究する面白さは,新種を見つける面白さだと私は思う.それは,新物質を見つけたり,新たな遺伝子を見つけたりする面白さと共通するものだ.しかし,ここで大きな問題がある.種は物質的な根拠を持つ存在ではなく,客観的定義が困難なカテゴリーである.いくら自分が新種を見つけたと思っても,それを客観的に記述する方法がなければ,「新種」は主観的な世界にとどまるだけである.
分類学者が記載した種が主観的なものだという問題は,応用上にも深刻である.私はいま,環境省版植物目録の編集作業に時間を費やしているが,種か亜種かを決める客観的な規準はなく,どこまで細かく分けるかについての客観的な規準もないため,客観的な目録は作成できない.環境省版レッドデータブックの編集にも携わったが,このRDBにリストされた分類群がそもそも何物なのかは,実はほとんどわかっていないのである.分類学者が区別しているものは,とりあえずリストしておこうという判断をしているにすぎない.もちろん,このような状況は,生態学者や遺伝学者など,他分野の生物学者にとっても困る.21世紀の分類学を展望するとき,「種」の曖昧さという問題は,緊急に解消されるべきだろう.
幸い,DNA情報を調査する技術と系統推定や分子進化に関する統計的方法の急速な進歩によって,分類学者が「種」や「亜種」「変種」として認知してきたものが単系統かどうか,単系統の場合,その内部にさらにどのような系統が含まれているか,その起源はどの程度古いか,などの問題を解決できるようになってきた.21世紀の分類学では,DNA情報は標準的な道具である.この道具を使って,従来の「種」や「亜種」「変種」を全面的に再検討すること,これが21世紀の分類学が取り組むべき大きな課題の一つだと考える.このような研究の例として,メキシコ産ステビア属に関する未発表の研究成果を紹介する.分子系統学的な研究から得られる系統樹は,進化生物学上のさまざまな問題を研究するうえで,きわめて有用である.今後は,進化生物学上の特定問題の解決を意図した系統学的研究が増加するだろう.メキシコ産ステビア属に関する研究は,その一例でもある.
分子系統学的研究が急速に発展する一方で,研究材料である野生生物の自生地が急速に消失し続けているという事実がある.その結果,これまで基礎的な研究に専心していた分類学者の中に,保全生物学への関心が広がりつつある.保全生物学は,野生生物の保全という具体的な課題を解決することを目標にした,総合的な研究分野である.分類学者はこの分野に参加することは,分類学と他の関連領域の間の交流を促進するうえでも,有益である.
保全生物学には,医学における基礎研究,臨床研究,治療に相当する3つの領域がある.現状では,どの領域の専門家も不足している.そのため,とくに「治療」(保全事業)に関わると,オールマイティであることを要求される.植物分類学者だから,両生類のことはよくわからない,などとは言っていられない.その実例として,九大移転予定地における生物多様性保全事業を紹介しよう.
九大は,275ヘクタールの里山を開発して,新キャンパスを作ろうとしている.造成工事着工の日程が迫り,大規模な造成は回避できないという状況下で,(1) 普通種もふくめ,用地内での種の消失を回避する,(2) 森林面積を減らさない,という2大目標を掲げて,生物多様性保全事業をスタートさせた.この事業を始めた段階で,開発用地内の植物種の分布を網羅的に調査する必要に迫られ,ネットワークセンサス法という新しい方法を考案した.また,重機による森林移植という大規模な方法を採用して,土壌生物や毎土種子を含む保全対策を行った.このようにして,保全事業の中でも,つねに新しいアイデアや方法を追求してきた.
以上のような基礎・応用研究に携わっている経験から,幅広い知識と総合的な視野を持つ,次世代の分類学者を育てる必要性を痛感している.分類学会連合の活動の一つとして,若手分類学者にさまざまな考え方やアプローチ,スキルを学ぶ場を提供することを提案したい.
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