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社会教育を通した分類学の発展

藤井 伸二(大阪市立自然史博物館)

分類学と社会

 分類学は,他の研究分野と同様,あるいはそれ以上に様々な形で社会的な貢献を行っている.その基盤となるのは,1) 分類群を認識し,記載によって名称を付与すること,2) 分類群の系統進化を再構築することによる体系的な整理,およびそれらに基づいた生物情報の集積と整理だろう.とくに,各種の図鑑類,モノグラフ,地域生物誌は,基本的な生物情報として必須であるし,近年急速な展開を見せる生物データベースの構築も,そうした基盤の一部と考えることができる.極言すれば,生物を分類群(種以下のレベルの場合もあるし,それより高次の場合もある)として認識するとき,そこには分類学の成果がすでに利用されていると考えてよいだろう.

 社会的にみれば,分類学は様々な分野で利用されている.生物が絡んでくる場合には必ず分類学の利用があるといってよい.いうまでもなく,教育(学校教育,社会教育などを含む)分野には大きな位置を占めている.また,知的好奇心の充足といった分野も同様で,恐竜の復元図や世界の珍妙な生物群の博物画や写真による紹介はそのわかりやすい例である.さらに,有用生物の産業利用における貢献も大きい.探索や発見においては,その生物の identification は重要であるし,有用な生物群を類縁関係の近いものの中から探索することも分類学が無くては難しいだろう.近年は,生物保護や環境保全にも,レッドデータブックの編集や保護策の提言などで分類学が利用される機会は増大していると思われる.

社会教育における分類学

 社会教育という用語は,しばしば学校教育と対比されるが,時代とともに様々な意味で使われてきた.歴史的にみれば,学校教育が不十分な時代にそれを補完する役割を担ってきた.広い意味では,「学校教育以外の教育活動」という控除的な定義をされることもある.一般には,学校外での教育活動のうち,公教育として整備されているものを指す.公的社会教育施設としては,図書館・博物館・公民館・青少年会館・婦人会館などが例として挙げられる.

 学校教育との主な相違点は,社会教育は余暇利用型であり,グループ・サークル活動をも含み,学習プログラムは非計画的・非系統的なものでも可などといった傾向が強いことである.とくに,特定の教育プログラムを提供しない場合,「教育」ではなくて「学習」という用語がより適切にその内容を表現しているように思える.

 一方,社会教育は,基本的には自己満足型・自己完結型で活動することが可能で,科学的成果や発見とは無関係に完結することが許されている.この点が,科学的な成果を要求される研究との大きな違いであろう.学校教育のような一定水準への到達や研究活動のような成果を要求されないことは,社会教育の利点であり,また欠点であるといえよう.

 では,分類学における社会教育とはどんなものであろうか.一つは,自然史系博物館等の公的社会教育施設の活動である.しかしこのことは,社会教育を提供あるいは創造する主体の一部が「法律によって規定された社会教育施設」という事実を表現しているに過ぎない.実際には,各種の分類学に関する啓蒙活動も含めてよいように思う.例えば,社会教育施設ではない大学等の研究者が市民講座の講師を務めることも多いが,これも一つの社会教育活動である.啓蒙書・専門書等の出版活動も,博物館がやれば社会教育で,大学がやれば高等教育などというばかげた区分はできないだろう.近年,急速に発達するインターネット上での様々な生物情報の整備(その中心はデータベース構築であるが)も,利用者が不特定多数(もちろん研究者も含まれる)という事実を考えれば,「社会教育の基盤整備」として位置づけられるのである.もちろん,社会教育に限定する必要はないのであって,学校教育の基盤整備といってもいいし,研究環境の基盤整備といってもいい.

 また,社会教育の特質であるグループ学習に,各地の生物同好会やサークル活動を当てはめることも可能である.「いきものマップ」のような生物分布調査において,博物館が主体になって行う場合とNGOが主体になって行う場合の両者に,やっていることに本質的な差は無いと思えるので,こうした生物調査も社会教育活動の一部であろう.こうなってくると,社会教育は,社会教育施設に限らない,なんでもありの世界と言える.

 さて,そんな中で,学会や研究者集団の社会教育への貢献とはどんなものであろうか.それを考えることが,分類学会連合を作り上げた一つの意義かも知れない.直接的なものは,啓蒙活動であろう.各種イベントの実施や協力,出版活動などがこれに当たる.また,大学等の高等教育(学生の輩出)や研究相談によるアマチュアの底上げなども,社会教育活動に指導的な立場で携わる人材を養成していると考えれば,非常に重要な社会教育である.また,学会として,教育行政への提案・提言・陳情によって貢献するという役割もある.分類学自身の発展と社会的地位向上が,結果的に社会教育の分類学分野の向上にもつながる.

生物の基礎情報収集におけるアマチュアの参加と活用

 分類学において,アマチュアの貢献を無視することはできない.これは,重要な基礎情報である分布・形態・生態など,高価な採集器具・計測機器が無くても調査可能な領域を持つことが一つの理由であろう.また,標本そのものが収集品としての価値を持つことがあり,コレクターによる収集がなされることも理由だ.

 アマチュアの中には,専門家以上の情報を保有している者も多いが,情報そのものが公表され無いことも多く,それをいかに活用するかは分類学の課題である.ここでは,そうした情報をどのようにして発掘・活用するかを,分類学における社会教育の課題として考察したい.

 アマチュアは,研究者のような研究成果の公表というプレッシャー(要するに論文を書かないと存在意義が揺らぐ)とは無縁であるが故に,自分の持つ情報や研究成果を死蔵してしまうこともある.これをなくすには,いくつかの「仕掛け」を構築しなければならないだろう.

 「情報の利用者から提供者へ」の意識改革が重要ではないだろうか.そのためには,新発見を公表・共有する機会の確保・保証である.例えば,同好会・サークル会誌上,データベース等での情報公開などである.とくに,データベースは,迅速なデータのアップ・デートが可能であり,自分の貢献した情報が本人にもすぐに確認できる点で,情報収集の励みになる.

 他人のデータに触れることと自己のデータの活用という機会がふえれば,「利用されるデータ」を意識するようになるだろう.そのことで,自己のデータの質が向上し,情報の客観性・信頼性にも注意を払うようになる,さらには引用やオリジナリティに対する意識づけも可能になる.要は,「発見 → 情報の吸い上げと公開 → データの利用 →→ 新しい発見」という循環構造を構築することで,情報を収集する人自身が自己学習によってデータの質を高める構造を作り出すことである.

 しかし,このことを実現するには,いくつか留意したいことがある.一つは,「情報の発掘(発見に対する科学的評価)」である.これには,1) 情報を持つ者同士の相互交流や同好会・サークルの活用によって,自己評価力を養成する,2) 研究者自身のネットワーク構築により,細かな専門家の助言を可能にするなどの配慮が必要だろう.また,情報を吸い上げるヒエラルキーの構築とそのための系統的な窓口網の整備が必要である.こうした分野に,分類学会連合が何らかの役割を果たせないだろうか.

社会教育の利用

 最近の社会教育の大きな潮流には目を見はるものがある.各地の大規模地方博物館の建設,データベース構築のための予算増,各地での保全行政など,分類学にとっては,またとないチャンスではなかろうか.

 分類学は,これまでにも様々な形で社会教育に関わってきたと思われるし,今後もそうあるべきだと信じている.それゆえ,今の社会教育の潮流をうまくとらえて,分類学が社会貢献を果たすなかで研究環境を整えていく努力が必要であろう.

 そのためにも,1) 研究の裾野を広げる,2) アマチュアの持つ情報の吸い上げ,3) 博物館等の標本保管施設の充実,4) 生物データベースの充実,5) 保全教育への積極的な参入について,系統的に進めていく必要があるだろう.とくに,データベース構築や保全教育は,社会的理解が得られやすい事業であり,そのことによって分類学の地位を向上させ,標本庫を含めた研究環境の改善へつなげてゆくことが必要である.